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「卑弥呼が埋めさせた大量の銅剣と銅鐸」の広報をしています。
歴史まったくの素人なので、その探偵を名乗っています^^。
出雲と野洲と神戸で、大量の銅鐸がヒレという部分を寝かせて埋めてあった。その出雲で358本もの銅剣が出土している。“共通の文化があれば共通の事象あり” 大量の銅鐸と大量の銅剣は『その荒神に、その剣二度と持たせてはならない!』と分離して埋められている! であるならば、出雲「岩倉」と同様な雨乞い文化があり、岩の地名が付く、野洲「大岩山」、神戸「いわや」、総社市「岩屋」でも、必ず大量の銅剣が出雲と同じような関係場所に埋められている♪( 吉備の総社市では、両方が未掘ですよ^^!)
では、何故それが「卑弥呼」と結びつくのですか?
「銅鐸文化」から「銅鏡文化」への移行・変換は何人も否定できず、その“変換点”に「魏」からの銅鏡100枚があり、卑弥呼がいる!! ヒミコは、幼児の人身供儀を伴う銅鐸(は荒神を呼び寄せ乗り移す媒体)文化から、「天気を司るのはお日様であり竜神はそのお使者である」とし、銅鐸と銅剣を持ち寄り封印し、その代わりに主神太陽の象徴である銅鏡を与え幼児の人身供儀を止めさせようとした。卑弥呼は、もとはと云えば“衆生・雨乞い”のため人里離れた境内で“人身供儀用”に育てられていた3歳〜7歳までの稚児であったが・・・、 myブログへつづく^^!
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