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こんばんは

 投稿者:ペギラ  投稿日:2008年 5月 4日(日)21時03分57秒
返信・引用
  ようきや〜した!佐々木さん!!
と、名古屋弁でした。。

「さ」が銅
う〜ん(^_^;)

銅が鳴くなら、「さなぎ」
なんてね。。。

でも、個人的には、「砂」というか、そんな感じがします。

「砂」には、「辰砂」も「砂鉄」も含まれるんじゃなんかと?
大まかに、鉱物系全体。

そんなことを私は思っています。
 

さなぎ

 投稿者:佐々木  投稿日:2008年 5月 4日(日)13時44分2秒
返信・引用
   さなぎの「さ」は銅のことでないですか。「ぎ」は器と当てると、「な」が問題です。
銅以外の材質で「なぎ」があったのでしょうか。
 単なる勘ですが、伊賀国の佐那具の地になにか重要なヒントがあると思います。
 大阪新町吉田屋(遊郭?)は江戸時代の絵図や新撰組などで場所は確認できますが、弥生時代には砂浜で、船付き場かなんかあったところでしょう。今どこの博物館がもっているのでしょうか。
 銅鐸の出土地は海浜か見晴らしのよいところでしたので、高地性集落の分布と関係があるように思う。海に舟が来たときの合図の鐘だったのか。低いところと高いところの連絡には使われていたのでしょう。
 また分布の大部分は、近江源氏の佐々木氏や仁徳天皇系の佐々木氏の根拠地でありまして、「ささ」の文字から銅が推定できます。自然銅はさささだそうです。
 

さなぎ

 投稿者:佐々木  投稿日:2008年 5月 4日(日)12時13分50秒
返信・引用
  さなぎの「さ」は銅のことでないですか。「ぎ」は器と当てると、「な」が問題です。
銅以外の材質で「なぎ」があったのでしょうか。
大阪新町吉田屋は江戸時代の絵図で場所は確認できますが、古墳時代には砂浜で港かなんかあったところでしょう。
 

Re: 阿波海部氏

 投稿者:ペギラ  投稿日:2008年 1月14日(月)11時39分28秒
返信・引用
  > No.51[元記事へ]

せいすいえいこさんへのお返事です。

> ウィキペディア「海陽町」歴史項目の書き込み者です。こちらの「加茂と海部」のページを「海陽町」「ノート」にリンクさせていただけないでしょうか。
>

どうぞどうぞ。(^_^;)

面白い話です。。興味が沸くのですが、いかんせん、現在考える時間が無い!

ということでよろしくお願いします。

http://ec.sakeweb.or.jp/moritaya/

 

阿波海部氏

 投稿者:せいすいえいこ  投稿日:2008年 1月14日(月)10時52分0秒
返信・引用
  ウィキペディア「海陽町」歴史項目の書き込み者です。こちらの「加茂と海部」のページを「海陽町」「ノート」にリンクさせていただけないでしょうか。

それと、中世海部氏について「海部但馬守は1352(正平7)年に細川顕氏(あきうじ)によって、山城国久世荘の乱暴人を排除するよう命じられた。(国宝「東寺百合文書」による。)」
という、平成7年版「海南町史」からの文があります。

阿波海部は、徳島県南端ですが、1445年には兵庫から京都へと、多量の木材を搬入していたらしいです。それからすると、ここに出てくる海部氏が阿波海部氏であっても不思議ではないような気もしますが、海部は、他に丹後・尾張・紀伊・豊後にもあります。これらについての検証もないと、確かさがはっきりしません。

1352年の東寺百合文書の記事が紀伊海部氏でないと言える理由には、どのようなものが考えられるでしょうか。それとも、紀伊海部氏である可能性もあるのでしょうか。

検索でこのホームページを見つけましたが、私の疑問の答に該当する部分がわかりませんでしたので、ご迷惑とは思いましたが、メールしました。よろしくお願いいたします
 

Re: 引用のお許しお願い

 投稿者:豊山教室  投稿日:2008年 1月13日(日)22時48分24秒
返信・引用
  > No.49[元記事へ]

伊藤弥次郎兵衛さんへのお返事です。


> 問題がありましたら、メールで、ご指摘くださいませんか。

> 必要があれば、引用先を説明、明示。又は削除などで、対応させていただきます。
> (ご連絡の仕方が分からなくて投稿)


いらっしゃいませ。
おいでませ、銅鐸の世界へ(笑


引用等、なんら、問題ございません。

が、京都に、あの銅鐸があるとういう話は知りませんでした。
本当なんでしょうか?

そのあたりが逆に知りたいです。
 

引用のお許しお願い

 投稿者:伊藤弥次郎兵衛  投稿日:2008年 1月11日(金)18時21分2秒
返信・引用
  私が管理しています掲示板で、
http://otd5.jbbs.livedoor.jp/yazirobey/bbs_plain
常連投稿者が、こちらの関係の資料を、無断で引用したようです。
#13215
問題がありましたら、メールで、ご指摘くださいませんか。
bey@hotmail.co.jp
必要があれば、引用先を説明、明示。又は削除などで、対応させていただきます。
(ご連絡の仕方が分からなくて投稿)

http://otd5.jbbs.livedoor.jp/yazirobey/bbs_plain

 

水をながめて。。

 投稿者:ペギラ  投稿日:2007年 8月 9日(木)14時16分37秒
返信・引用
  韃靼人さん

どこでも良いんですが、、(笑

水を眺める。
>ただ、神戸市の生駒銅鐸は山の中腹から出土していて、水とは関係が無いように思います。

中腹から、水を眺めるんです。
荒神谷から、水見えるか?とどんたくさんに言われましたが、
でも、今、あのあたり、池とか小さな川ありましたよね。

もともと谷なんですから、水の流れはあるはずです。

川、水を眺めるという視点に立ったのは、
紀州の銅鐸出土地で、強く意識するようになりました。

http://ec.sakeweb.or.jp/moritaya/

 

ペギラさん

 投稿者:韃靼人  投稿日:2007年 7月16日(月)15時58分48秒
返信・引用
  ペギラさん
こちらの掲示板に書き込みしたのは、久しぶりに見たら銅鐸の話が出ていたからです。
こちらの掲示板を廃止するな、ということではありません。
ですから掲示板の一本化をされるのであれば、私は賛成します。

銅鐸と水ですが、たしかに銅鐸は水に縁のある場所から多く出土しているように思います。
ただ、神戸市の生駒銅鐸は山の中腹から出土していて、水とは関係が無いように思います。
するとこの銅鐸の場合は、弥生人は「何を見ていたのか?」、「何を祈っていたのか?」という問題があるように思えます。
あれ、こういう風にコメントを書き込んでしまえば、掲示板は廃止しにくくなってしまうのでしょうか?
     播磨國住人 韃靼人
 

韃靼人さん

 投稿者:ペギラ  投稿日:2007年 7月 5日(木)17時33分12秒
返信・引用
  こちらでもこんにちは。(笑

なかなか返事というか、感想というか、
気のきいた対応ができなくて、すいません。
ちゃんとチェックはしていますので。。

銅鐸を埋めた人々は「水」を見ている。
これが現在の私のスタンスです。

http://ec.sakeweb.or.jp/moritaya/

 

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