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北青木銅鐸について

 投稿者:韃靼人  投稿日:2007年 6月27日(水)10時55分23秒
返信・引用
  お久しぶりです。
@niftyの歴史フォーラムからmixiに転進(?)してから、この掲示板、そしてもう一つの掲示板もアクセスしませんでした。
パスワードなど入れるのが面倒だったこともあります。
久しぶりに見てみると、北青木の銅鐸が話題になっていたのですね。
そこで、今更ながら、ちょっとコメント。
mtiさんが横川と呼ばれている川が名前のように横に流れている不自然さは地元の人々も不思議に思っていました。
私も幼少の頃から25年間ぐらい本山で暮らしましたが、六甲山南麓では町全体が少し坂になっていますから、川は山から海へ、つまり北から南へ流れるのが当たり前なのです。
ですが、この川は横(東西)に流れています。
当時の私を含め、子供たちも不思議な川だと言っていました。
最近、神戸学という本が出て、それに田辺真人氏が書かれている文章によれば、この付近は条里制によって川の流れが不自然に作り変えられたということです。

本来は、生駒銅鐸の出土地である生駒山の西側の権現谷から流れている川は、北青木遺跡付近を通っていたと思われます。
現状では、銅鐸は北青木遺跡の西の端から出土したようなのですが、川には近い場所だったと思われます。
北青木遺跡の発掘調査報告書があれば、それを読んで川の跡が検出されていないか、調べてみる必要があります。
さらに海にも近いので、そういう立地条件で出土しているということです。
西宮の津門銅鐸は平地の出土で港の近くで出土しています。
芦屋の堂ノ上の銅鐸も平地の出土です。
さらに今回の北青木遺跡の近くの本山銅鐸の出土地も平地です。
ですから、これらの銅鐸の存在も考えた上での考察が必要かと思われます。
蛇足ですが、北青木銅鐸は埋納坑、再埋納坑が発見されています。
ですから上から流れてきたのではないと思います。
私も津門銅鐸の時に上流から流れてきた可能性を考えましたが、もし流れて来たのであれば、キズだらけになっていたハズだと思います。
ですから、今は津門銅鐸も、上から流れてきたのではないと考えています。
      播磨國住人 韃靼人
 

中杉 弘のブログ

 投稿者:石橋みどり  投稿日:2007年 5月 9日(水)15時31分32秒
返信・引用
  ついに明かされた三内丸山遺跡の謎!
縄文土器・縄文人のルーツが知りたい人は必見!!
日本人のDNAをもっている人なら必ず納得いきます。
知りたい人は、み・て・ネ!
      ↓
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137

 

暖かい

 投稿者:ペギラ  投稿日:2007年 3月 5日(月)12時59分10秒
返信・引用
  こちらも全く使用しないうちにもうすぐ桜の季節がきてしまう。

必要性に疑問を感じる昨今、この掲示板、廃止しちゃおかな。などと。
考える。

でも、(^_^;)

http://ec.sakeweb.or.jp/moritaya/

 

謹賀新年

 投稿者:ペギラ  投稿日:2007年 1月 4日(木)15時33分1秒
返信・引用
  あけましておめでとうございます。

こちらにも新年のご挨拶の痕跡を。(笑

本年もよろしくお願いいたします。

http://ec.sakeweb.or.jp/moritaya/

 

ありがとうございます

 投稿者:mti  投稿日:2006年12月 3日(日)16時16分19秒
返信・引用
  どんたくさん くわしい資料をありがとうございます。
おかげで間違ったイメージを修正できました。

神戸新聞の記事に「瀬戸内地方東部を中心に分布
する亀山型」とありましたので播磨灘沿岸を含む
地方を想定していましたが全然違いました。

ところで、姫路の今宿丁田遺跡は播磨の銅鐸工房と呼ばれる
そうですが、ここでつくられた銅鐸は何型なのでしょうか。

http://www.hyogo-c.ed.jp/~maibun-bo/iseki-1.htm

 

神戸・北青木銅鐸と亀山型

 投稿者:どんたく  投稿日:2006年12月 1日(金)22時56分51秒
返信・引用
  mtiさん、こんにちは。 どんたく と申します。

>同形式の銅鐸が、どのあたりから出土しているか
>くわしく知りたいものです。

これについて下記のところに「神戸・北青木銅鐸と亀山型(1)〜(7)」という題目名でアップしました。

http://bbs.com.nifty.com/mes/cf_wrentC_m/FREKISHI_B032/wr_sq=FREKISHI_B032_0000000313

少々読みにくいかもしれませんが、最後のところに亀山型銅鐸の一覧表をつけてあります。
北青木銅鐸を含めて全部で24例です。
ご笑覧下さい。

どんたく
 

銅鐸と横川

 投稿者:mti  投稿日:2006年12月 1日(金)21時45分24秒
返信・引用
  北青木の銅鐸は埋納されたものではなく上流から
流されてきたという可能性はないのでしょうか

といいますのは北青木遺跡の微妙な位置です。
横に流れる川(横川)がなかったならば
保久良神社のある山から流れ下る谷が扇状地に出て
最短距離で南の海に流れ込むところにあります。
山からの距離およそ2km。遺跡の手前で川はほぼ90度
角度を東に変えられて流れていきます。
扇状地の上を流れる川は人手が加わらなければ
どこにでもながれ洪水のときにはすべてが水に漬かり
土砂(六甲山の場合は真砂土)で埋るのですから
横川の堤防がなかったならば銅鐸は
とっくの昔に海に流されているか
土砂深く埋められてしまうかのどちらか
と言ってよい??

とはいえ、このような考えかたをしてよいものかどうか
相当迷うところです。 横川の起源が古くなり過ぎる(^^;

なお、明治時代の地図を見てみますと横川は
さらに西のほう、阪神青木駅の西方までのびています。
現在の3倍以上の長さになります。 北青木遺跡より
西にあたる横川は昭和初期の阪神大水害によって
破壊されたものでしょうか。
 

EC−SHOP もりたや

 投稿者:ペギラ  投稿日:2006年12月 1日(金)13時38分48秒
返信・引用
  随分と戦いつづけておりました、ショッピングサイト構築作業が
ほぼ終了となり、本日開店でございます。

oscommerceを使用した、独自でカスタマイズしたサイトです。
経費を掛けずにここまでできれば、まあ、まあ、だと思います。

よろしく、お願いいたします。

http://ec.sakeweb.or.jp/moritaya/

 

ありがとうございます

 投稿者:ペギラ  投稿日:2006年11月24日(金)15時49分3秒
返信・引用
  mtiさん、面白い情報ありがとうございます。

いつごろ作られて川なんでしょうね。

かなり面白いネタです。
(^_^;)
 

銅鐸出土地 現地説明補足

 投稿者:mti  投稿日:2006年11月24日(金)05時16分37秒
返信・引用
  銅鐸出土地のすぐ北には西から東に海と平行して流れる川があり
現地に立っている説明板によると、古代の大土木工事によって
つくられたとあります。

さらに東に十数分歩くと東瀬戸内系の弥生時代の墓が集中して
発見された深江北町遺跡があります。

ひようごの遺跡 11号

http://www.hyogo-c.ed.jp/~maibun-bo/iseki-1.htm

 

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