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アベ政治を許さない!

 投稿者:Quappa  投稿日:2015年 6月16日(火)02時09分9秒
編集済
   <アベ政治を許さない!>全国一斉行動

 澤地久枝さんと鳥越俊太郎さんが、標記タイトルの全国一斉行動を呼びかけています。

 市原では 7月19日(日)16:00~17:00 に実施します。

 カインズ市原店 東側交差点「吉野家」歩道に集合

 【注意】全国一斉行動は7月18日(土)13:00 ですが、市原では一日遅れて、
     7月19日(日)16:00 に行います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【引用はじめ】

 7月に予定する「アベ政治を許さない!」国民の一斉行動デーの基本を、
私の尊敬する作家、澤地久枝さんと話し合って次のように決めました。
 これはどの団体にも働きかけていません。国民一人一人が今の安倍政権の戦争法案に
反対して一斉蜂起するという考え方に依っています。
 Facebookの力だけでどのくらいの規模になるかは全く分かりませんが、
賛同の方は出来るだけ多くの人に働きかけ拡散して、同じ日,同じ時間に、
同じ合い言葉を手作りで結構ですから、プラカードに表現し、アッピールしましょう!

  日時:7月18日(土曜日)13:00~

  合い言葉:「アベ政治を許さない!」

 以下に澤地さんのアッピール文を掲載します。
 「アベ政権の非道に、主権者の抗議意志をいっせいに示そう。
 全国共通の、一つのスローガンを同時に掲げる。
 『アベ政治を許さない!』
 東京は国会正門前その他で。全国全ての街、村、隣近所で、同じ文体の『アベ政治
を許さない!』を掲げよう。(文責・澤地久枝)

【引用終わり】
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 冒頭に記したとおり、市原では、一日遅れで実施。

 7月19日(日)16:00~17:00
 カインズ市原店東側交差点「吉野家」歩道に集合

 < アベ政治を許さない! >

 この合い言葉を記したパネルやプラカードを持ち寄り、掲げて、戦争法案や
派遣法改正案を強行し、原発再稼働に邁進する安倍政権に “ No ” を突きつけましょう。
 アリオ市原 周辺をパレードします。

 ご家族、ご友人、誘い合わせてご参加ください。
 趣旨に賛同される方は、どんどん拡散してください。
 
 

   父が残したもの(2)

 投稿者:Quappa  投稿日:2013年 8月10日(土)02時13分42秒
編集済
   この週末は妻が不在だ。
 弓道の大会で、山形へ出かけている。

 こんなときは長男が炊事をしてくれた。
 父がいなくなったいま、食事は各々が勝手に摂ればいいと考えているらしく、
作ってはくれない。さあ、困った。

 調理せずに食べられるものを求めて、父の冷蔵庫を開けてみた。

 鯛味噌が出てきた。
 鯛味噌は、誕生寺のある天津小湊あたりの土産物で、父の好物だった。
 小湊で製造の鯛味噌はビニル袋に入っており、容器にあけてから食べる。
 「容器にあける」作業が面倒になってからは、酒悦製の瓶詰めを買っていた。

 視力のほとんどない父だったが、体力も衰えてきて、千葉へでかける時には
わたしに付き添いを頼むようになった。
 2月だったか、3月だったか、瓶詰め鯛味噌の購入に付き添ったことがある。

 さっさと歩き、売り場の近くに達したところで、大声で
 「この辺に鯛味噌はありませんか」と叫ぶように言ったのだ。度肝を抜かれた。
 近くの店員が反応して、瓶詰めをもって来てくれた。
 視力のほとんどない父の買い物の仕方を知ったのだった。

 そのとき買った瓶詰めが、冷蔵庫に手つかずで残っていた。
 これで、一食を賄うことができたのだった。

 明日は、買い出しに出かけようか。
 

   父が残したもの

 投稿者:Quappa  投稿日:2013年 8月10日(土)01時48分52秒
  ≪シャンプーとリンス≫
 「浴室にあるじいちゃんのシャンプーのボトル、始末してもイイんじゃない」
と、次男が言った。
 「われわれと同じシャンプーを使っていたはずだから、使えるものなら使って
しまおう」と応えた。

 臭いからはわからなかったが、中身を出してみたら、シャンプーではなく、
リンスだった。
 その旨を次男に話したところ、
 「じいちゃん、知らないで使っていたんだろうか。早く気がついてやれば
よかった」と応えた。

 「耄碌したモンだ。歳はとりたくないモンだ。惨めだねぇ」なんて返されたら、
こういう話はできなくなるところだった。次男が、わたしと同じ感じ方をして
くれて、安心した。
 

   こんどは友を送る

 投稿者:Quappa  投稿日:2013年 7月25日(木)12時41分38秒
編集済
   父が他界して2週間。

 新しい出会いの場に出て行こうという気には、まだならない。

 きのうは帰路、古い友人に無性に会いたくなって、ひとりにメールを発信した。ほどなく
着信音がなり、返信と思って開いてみたら、……

 小中学校同級生の訃報。息子さんからだった。

 亡くなったKさんはピアノの名手。5年生で卒業生を送り出すときも、6年生で出て行く
ときもピアノ伴奏は彼女だった。

 同じ中学に進学し、隣の教室となった。美人だったから、上級生からも注目されていた。
「同じ小学校なので、気安く話ができる」と、わたしはみなから羨ましがられたけれど、言葉
を交わすことは少なかった。友人からの手紙を彼女に渡してやったことが一度だけあった。

 卒業後は、年賀状も途絶え、同じ駅を利用しているにもかかわらず、姿を見かけることも
なかった。

 再び出会ったときには、彼女はピアノ教室を主宰していた。双方とも子持ちだった。たし
か、子どもの権利条約の学習会でだった。9条の会イベントにも参加してくれた。

 最近来ないなぁと気づいたとき、第一の病魔が彼女を襲っていたのだろう。術後5年を生
き抜き、ホッとしたところで他の臓器に原発性の病巣が発見された。摘出手術ができないの
で化学療法をし、入退院を繰り返しているという情報が、彼女の親しい友人からわたしにも
たらされた。

 わたしが30代のころ、後輩を見送ったことがある。「残された時間、昔の楽しかったとき
を思い出させてやってほしい」と家族から頼まれて、そうしたことがあった。
 そのときのことを思い出して、先の友人とはじめたKさんとのメールだったが、その内容
は、昔話ではなく、互いの家族、とくに子どものことだった。
 ピアノを話題にしても、それへの反応はなかった。旧家であるKさん宅に伝わる「御輿伝
説」については話がはじまったばかりだった。彼女のハンドルネームの謂われを知りたくて、
尋ねる機会を探っているうちに、訃報が届いてしまった。

 このときのメールがKさんのケータイに残っており、それを見ての息子さんからの連絡
だったのだろう。葬儀に参列してほしいと書かれていた。

 Kさんの家族とは因縁が深い。
 お父上。千葉中から早稲田へ進み、いったんは銀行に勤めるも家業を継いだ。いつも校歌
を口ずさみ、彼女は六大学の校歌や応援歌を覚えてしまったそうな。その話を市原稲門会の
『通信』に「五井の早稲田人」のタイトルで記したことがある。総会に参加を要請したが、
返事はなかった。会の発足がもう1、2年早ければ、満面の笑顔で腕を振り上げていたこと
だろう。

 妹さん。小学校でわたしの母が担任し、年賀状は母が亡くなるまで続いた。ある年「早混
に入りました」と書かれていた。そして妹も団員同士で結婚、母は披露宴に招待された。母
の葬儀には、お母上が参列してくださった。
 その妹とは、おそらく今夜会えるはず。Kさんが引き合わせてくれる「初対面」である。

 お通夜には小学校の同級生が10人くらい集まるはず。今夜は大事な会議が予定されている
が、こちらに参加することにしよう。

 いろいろな思いを残して逝ったであろう彼女。それに比べて、ほぼ何も思い残すことなく
逝ったであろうわが父。父は天寿を全うしたと考えることにしよう。

 少し、元気を出せそうな気がする。


 

   父を送る

 投稿者:Quappa  投稿日:2013年 7月19日(金)01時08分49秒
編集済
       ごあいさつ

 故人の長男兼末っ子のQでございます。

 本日は、お暑い中、連休の最後の日にもかかわらず、故人のためにご会葬くださり、
またご厚志を賜り、ありがとうございました。退職してから27年も経ちますのに、
昨晩に引き続き、多くの先生方やそのお子様方、教え子の皆様にご会葬いただきました。
父が皆様に慕われていたのかなと嬉しい思いも感じております。

 父は大正15年の生まれでした。応召した後、昭和22年に師範学校を卒業し、まず
A小学校に赴任しました。そこで母と知り合い、わたしが生まれます。

 B小学校からC小学校へ赴任し、当時は丸刈り(坊主頭)だったので、児童の感想文に
「ボクは坊さんだと思いました」と書かれました。

 教育センターを経て、D小学校へ赴任しました。子どもたちが通学時に使う路線バスを、
学校正門まで乗り入れてもらうことを関係者に働きかけました。

 E小学校ではC小時代の教え子サンがPTA役員でした。
 6校めは自身が卒業した上小学校。家の前の地元の学校でした。卒業式のあいさつで自分
の卒業証書の番号を引用しました。

 最後はB小学校。ここでもかつての教え子さんたちに助けられました。母も最後はB小で
した。

 どの学校においても、ジャージーを着て学校内を歩き回り、条件整備に勤しみました。
せっかちな性格、自分でやらなければ気が済まない性分から「即実行」と呼ばれていたこと
を知りました。

 以上、思いつくままに父の来し方を振り返りましたが、同僚と教え子に恵まれた幸せな教
員生活でした。でもひとつだけ悔いがありました。ピアノが弾けなかったことです。「音楽
の授業を持ちたかったなぁ」と言っていました。
 もうお気づきかも知れませんが、BGMは各小学校の校歌です。

 退職後は、近所のみなさんのご指導を受け、露地野菜作りや庭の整備に励みました。母と
日本を世界を訪ねました。三越で買い物するのが大好きでした。

 父が80歳のときに母が亡くなりました。それからは、朝昼の食事は自力で摂り、夕食は
わたしたちと一緒でした。好物は「カボチャの煮物」、わたしの妻や長男が調理しました。
次男は視力の衰えた父の捜し物を手伝いました。洗濯は最後まで自分でしていました。近所
の理容室でお茶を飲むのが日課でした。前の店でスイスロール、ミニどら焼きを買いました。

 5月14日に体調不良で入院したところ、膠原病と診断されました。母は30代から膠原病
で苦労しました。伝染するものでも遺伝するものでもないのに、十万人に一人の珍しい病気
なのに、同じ病気にかかるとは、ずいぶんと仲の良い夫婦でした。あの世で再開したなら、
「おとうさん、わたしの苦しみがわかったでしょ」と母に言われることでしょう。果たして
父はなんと応えるか? 知りたい気もします。

 入院して2ヶ月後の12日金曜日。87歳と7日目に、急性心筋梗塞で息絶えました。
教え子の病院長に最期を看取っていただけたこと、父もわたしたちもとても喜んでおります。


 誠にせっかちな旅立ちでした。

 父や母にお寄せいただいたご厚情を、わたしたちにも引き続きいただけましたら、幸いです。

 町内会の皆様には葬儀の運営にご尽力いただいております。ありがとうございます。引き
続き、よろしくお願いいたします。

 ここにおられます皆様のご健勝を祈念して、御礼のあいさつといたします。
 本日はありがとうございました。
 

   参議院選挙は天下分け目の闘いか?

 投稿者:Quappa  投稿日:2013年 7月 9日(火)02時09分12秒
   2012.4自民党草案では、「自衛隊を国防軍に改組する」点に当初は注目が集まりました
が、ここに来てようやく「自民党案が成立したら、自由が危ない」ことに気づく人が増えて
きました。
 自由がなくなれば、政府批判はできません。国民は政府のいいなりになるしかありません。


 明治憲法でも「基本的人権」のような権利は保障されてはいました。しかしそれは、天皇
から恩恵として与えられた「臣民の権利」であり、人が生まれながらに持っている「人権」で
はありませんでした。また臣民の権利は、法律によってどのようにも制限される権利であ
り、表現の自由も治安維持法などによって、全くなきものにされました。政府を批判する自
由を奪われてしまいました。

 自由・権利は昭和憲法では基本的人権として保障されました。自由・権利というと日本で
はなぜか「やりたい放題」「無責任」と否定的に受け止められますね。しかしこれは曲解です。
自由・権利には「他人の自由・権利を害さない限り」という限界があるのです。

 昭和憲法はその限界を「公共の福祉」と表現しました。明治憲法で育った裁判官たちは当
初、公共の福祉を「社会全体の利益」のように捉え、判決で「基本的人権は尊重されなければ
ならない。しかし公共の福祉のためには制限されてもやむを得ない」と、いとも簡単に人権制
限を容認していました。

 それが憲法研究者の長年の努力によって、公共の福祉を「人権相互の衝突を調整する実質
的公平の原理」とする共通理解が成立し、通説となっています。権力の都合によって人権を
制限してはならず、他人の人権と衝突する場合には[譲り合って]調整し、必要最小限の規制
にとどめようと考えるのです。裁判官も当初のような乱暴な判決は出さなくなりました。

 2012.4 自民党草案では、公共の福祉が「公益及び公の秩序」と書き換えられています。草
案作成の中心人物・船田元氏に依れば、「人権が衝突しなくても規制できるようにしたい」の
だそうです。これは、権力者の都合で人権を規制できるようにしたいというのでしょう。明
治憲法の時代への逆行です。

 アベノミクスに期待して自由民主党に投票する有権者が多いようですが、自民党を勝たせ
ることは「自由・権利を縮減」しようとする自民党を「応援する」ことになります。この点を
よく考えてほしいですね。
 自由があれば経済政策の善し悪しを議論でき、是正もできます。しかし自由がなくなって
しまっては、それもできないのですから。
 

主権「回復」の日(2)東京新聞社説

 投稿者:Quappa  投稿日:2013年 4月29日(月)02時02分2秒
   主権「回復」の日にちなむ第二弾です。

 東京新聞が採り上げた豊下猶彦教授の見解は、わたしが学習会で何度か紹介しました。
 平和条約と同じ日に締結された安保条約は、昭和の「不平等条約」と呼べるほどの内容で
す。米軍は、日本国内の好きなところに基地をつくり、自由に使用できる。それでいて日本防
衛義務は負わないし、内乱にも出動できるというのですから。

 なぜ一方的な内容になってしまったのでしょうか? 朝鮮戦争を戦う米軍は日本を兵站基
地としており、日本はその点を逆手にとって、もう少しはましな内容に出来たはずです。外
務省は4つの案を作成していましたが、条約はそのどれよりもひどい内容でした。豊下教授
は、そこには昭和天皇の意向が働いていたと推論しています。
 昭和天皇は帝国陸海軍を率いただけあって「軍事力に頼らない平和」の考えは採らなかっ
たようです。72年でしたか、防衛庁長官に「自衛隊は違憲といわれるほどの組織ではないだろ
う」と述べたことがありました(天皇との会話の内容を漏らしたことで長官は辞任に追い込ま
れました)。天皇は、こう考えました。平和条約の発効により日本から連合国軍がいなくな
る。日本を守ってくれる軍隊がいなくなる。憲法9条があるので、日本は再軍備は出来な
い。社会主義で君主制を撮らないソ連に守ってもらうわけには行かないから、「アングロ・サ
クソンに守ってもらうしかない」と。そう考えた昭和天皇は、日本政府の頭越しにアメリカに
その意向を伝えました。日本政府には「アメリカに最大限譲歩せよ」と命じたのでしょうか
(これはわたしの推測です)。
 それまでの交渉を活かすことが出来なかった吉田茂総理は、無念だったのか、へそを曲げた
のか、講和条約首席全権を拒否します。しかし色紙に「臣茂」と書くほどの人ですから、天皇
との面会後には全権を引き受けました。さらに吉田は、安保条約には一人で署名します。随
行した宮澤喜一などの若手が、不平等条約に名を残すことは忍びなかったからだろうと考え
られます。
 吉田の思いはともかくとして、昭和天皇の行為は大問題です。だって天皇は、日本国憲法
下では「国政に関する権能をもたない」のですから、外交なんてやってはいけないのです。
昭和天皇はかつて、「わたしはこれまでに二度の憲法違反をした」と告白しました。明治憲
法下の天皇も、軍事以外の国政に関しては総理や国務大臣の輔弼(助言)を受ける必要がありま
した。しかし、二二六事件の「反乱」部隊の鎮圧とポツダム宣言受諾の決定は、輔弼を受け
ずに行ったのです。もっとも、この二つの事件では大臣が政府の意思を決定できなかったら、
天皇が決定するしかなかった面はあります。しかし、これだけでなく、新憲法下でも「頭越
し外交」と「沖縄メッセージ」の二度の憲法違反を行っていたのです。

 天皇タブーの残る日本で、「昭和天皇は戦後も憲法違反」と指摘する豊下見解は、大きく
採り上げられることはありませんでしたが、それが東京新聞に採り上げられたことは、客観
的な歴史認識という点から、喜ぶべきことです。

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【社説】週のはじめに考える 日本の真の独立を思う 2013年4月28日

 きょう二十八日は主権回復の日。天皇、皇后両陛下も出席されての初の式典開催ですが、
沖縄の当然ともいえる反発があっては虚心にはなれません。

 サンフランシスコ講和条約が発効した一九五二年四月二十八日はどんな日だったか。デー
タベースを検索して当時の新聞各紙を読み比べると、歓喜と不安が交錯する日だったことが
わかります。

 六年八カ月の軍事占領からの解放。中日新聞(当時中部日本新聞)は一面に「雲ひらく」
と題した横山大観画伯の大きな多色刷り富士山頂図を奮発しています。


◆歓喜と不安交錯の記念日

 朝日新聞は天声人語の「二つの日本に分割されなかった幸い」や「有史以来初の主権在民
の独立国になったのである」に高揚感を漂わせます。「自主独立が外交の基本」-夕刊紙
だった東京新聞はこの朝の吉田茂首相と内閣記者団との一問一答を掲載しています。

 不安は東西冷戦に由来します。五〇年六月、北朝鮮軍の砲撃から始まった朝鮮戦争は、死
者四百万~五百万人、その大半が一般市民という凄惨(せいさん)な事態となりますが、ま
だ休戦に至っていません。講和も旧ソ連や大陸の中国との締結のない単独講和でした。

 中日新聞に「独立に想(おも)う」を寄稿した社会学の清水幾太郎は「アメリカのソ連包
囲網の一環になったまでのこと。新しい大戦の危険は大きい」と不気味な予言。「八千五百
万人の日本人が独立の気力をもって現実に働きかければ」と期待しました。「共産主義が歴
史の必然」ともいわれた時代。世界の行方などわからないものです。

 講和条約と同時に発効した日米安全保障条約によって、西側陣営に立ち、反共の砦(とり
で)の役割を担うことになった日本。戦後社会をけん引したのは吉田首相の軽武装・経済重
視の「吉田ドクトリン」路線でしたが、最近の昭和史研究や豊下楢彦前関西学院大教授の
「昭和天皇・マッカーサー会見」(岩波現代文庫)は、外交、防衛、安全保障面で昭和天皇
の果たした役割の大きさを明らかにしています。昭和天皇の沖縄メッセージや講和条約交渉
への天皇の介入は、沖縄の運命や日本の防衛や安全保障に決定的だったように見えます。


◆沖縄の犠牲に支えられて

 沖縄メッセージは四七年九月、天皇御用掛の寺崎英成氏が連合国マッカーサー総司令部に
伝えた極秘メッセージ。天皇が米軍の沖縄占領継続を希望し、占領は長期租借(二十五年な
いし五十年、あるいはそれ以上)で-などの内容。七九年の文書発掘は沖縄に衝撃を与え、
その後、入江侍従長の日記で内容がほぼ事実と確認されたことで、沖縄の人々は大きく傷つ
いたといわれます。

 豊下前教授はダレス米国務省顧問を相手にした講和条約、安保条約交渉でも、吉田首相と
昭和天皇の二重外交があったことを論証しています。当時の天皇にとっての脅威は朝鮮半島
にまで迫った共産主義でした。共産主義から天皇制を守ることは日本を守ることでもあった
のでしょう。戦争放棄の憲法と非武装となった日本で天皇が頼ったのは米軍、それが沖縄占
領継続の希望や基地提供でした。

 そこにはパワーポリティクスや外交的駆け引きの余地はなく、ダレスに対日交渉での当初
からの目論見(もくろみ)「望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利
の確保」を勝ち取らせることになってしまいました。およそ独立にふさわしくないこの条約
は、今も日米地位協定の不平等のなかに潜まされ、変えられていません。

 講和条約三条で沖縄は本土から分離され米国の施政権下に移されました。講和条約や安保
条約の成立過程の検証は、本土の独立が沖縄の一方的犠牲の上に築かれていることを教えま
す。

 沖縄への理不尽は、世界一危険な普天間飛行場移転問題に集約的に現れます。沖縄の四十
一全市町村長の反対にもかかわらず、政府は県内の辺野古移転を変えません。米軍の移転候
補基地の比較衡量で満点は「本土の自衛隊基地」。辺野古への固執は本土移転回避の政治的
理由としか思えません。

 日米安保の重要性は否定できません。それなら負担は国民が等しく、本土でも米軍基地を
引き受けていくべきです。憲法改正に声高な政府や政治家が日米地位協定改定には及び腰な
のはなぜか。国民のために当たり前のことを主張し要求していくのが独立国の政府、正しい
ことに勇気をもって立ち向かうのが独立国の国民。


◆日本全体で考える

 昭和を継いだ今上天皇の沖縄への思いはことに深いようです。昨年十二月の七十九歳の誕
生日のお言葉は「日本全体の人が沖縄の人々の苦労を考えていくことが大事」でした。沖縄
こそ真の主権回復の一歩にしたいものです。
 

主権「回復」の日(1)朝日新聞の記事

 投稿者:Quappa  投稿日:2013年 4月28日(日)22時37分26秒
   きょうは、日本政府主催「主権回復」式典の日。

 アメリカによる占領状態が続いているのに、領土問題も残っているのに何が主権回復だ?
 沖縄や小笠原、奄美に至っては、日本から切り離され、米軍統治がはじまった「屈辱の
日」ではないか?

 主催する政府の意図とは裏腹に、批判にさらされている式典で、安倍総理はどんなあいさつ
をするのでしょう? さらに、「沖縄に一際心を砕いている」といわれる天皇は?
 伝えるニュースに注目です。

 さて、昨日の新聞に、日本の支配層が目指す国家のあり方を明らかにした、示唆に富む記
事が載りました。

 安倍総理は「日本を世界で最も企業活のしやすい国にする」と述べたそうで、それに対して
「なぜ、国民が暮らしやすい国にすると言わないのか」とtwitter上で噛み付かれていまし
た。国家像の違いがはっきり出ています。

 では、支配層が目指す国家は…?
 グローバル化した資本主義を生き抜くために、大企業が活動しやすい環境を整える。企業
の租税負担を軽減し規制を緩和し、政府は財政支出を減らす。社会保障を削減して「家族に
よる自助努力」を促す。
 競争に従事する一部エリート層を育てる。あとはエリートに従えばよい。その層を統合す
るために、天皇や愛国心を用いる。
 これは、多くの論者の一致するところです。

 片山慶大教授はそれに加えて「いま安倍内閣を支持している人々も、やがては切り捨てられ
るのですよ」と警鐘を鳴らしています。読者はどう受け止めたのでしょうか?
 しかし安倍総理は、支配層の意図を正確に理解しているのでしょうか?

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(政治を話そう)主権と回復 慶応大学教授・片山杜秀さん  朝日新聞2013年4月27日

 4月28日、安倍政権は「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」を開き、天皇、皇后
両陛下も出席する。閣僚の靖国神社参拝などと相まって国家主義的な動きが強まっているよ
うに見えるが、政治思想史家の片山杜秀さんは「国民国家が崩壊過程にあるからこそ起きる
現象だ」と語る。いったいどういうことなのだろうか。

 ――「主権回復の日」をどうみますか。

 「実に『安上がり』な国民統合の仕掛けですね。安倍政権が主権や国防軍、日の丸、君が
代といったナショナルなシンボルをやたらと強調するのは『もう国は国民の面倒はみない。
それぞれ勝手に生きてくれ』という、政権の新自由主義的なスタンスと表裏の関係にありま
す」

 「日本という国は明治以来、天皇の下で国民統合が図られてきました。革命が起きて天皇
制がつぶれたり、共和国になったりすることをずっと怖がってきて、社会主義や共産主義を
抑圧しようと幸徳秋水を殺し、大杉栄を殺し、治安維持法を制定し、その一方で国民に不満
を持たせないように、食わせるための努力をしてきた。社会党や共産党よりも天皇を仰ぐ私
たち保守の方が皆さんを食わせることができますよと、実際に札ビラを見せながらやってき
たのが戦後自民党で、池田勇人の所得倍増計画はその典型です。しかし今の安倍政権はそう
いう保守ではもはやない。税金や徴兵など国民に犠牲を強いるかわりに後々までちゃんと面
倒みるよ、というのが国民国家ですが、安倍政権の国家観はすでにそこからズレていってい
ます。そのことをまずは深く認識すべきです」

 ――どういうことでしょうか。

 「例えば自民党の改憲草案では、わざわざ条項を新設し、『家族は、互いに助け合わなけ
ればならない』とうたっています。オールド左翼は『天皇を家長とする家族主義的国家の復
活だ』といった方向から批判をしていますが、全くピントがずれている。これは自助努力の
文脈で捉えなければなりません。家族で助け合ってくれれば安上がりですから」

 「草案には天皇の元首化や国防軍の創設なども盛り込まれているため『右傾化』『軍国主
義』といった枠組みで批判されがちですが、問題の本質を見誤っています。安倍政権の特質
をひとことで言うなら『安上がり』です。国民の面倒はみない、でも文句を言わせないため
の安上がりな仕掛けをたくさん作っておこうというのが安倍政権の改憲路線です。国民皆兵
にして海外で戦争を……なんて考えているわけがない。面倒なことは少しでもやりたくない
というのが新自由主義ですから」

 「ただ、面倒をみなければ当然、国家としての凝集力は弱まります。富裕層は国外に流出
するかもしれないし、貧乏人は暴動を起こすかもしれない。さあどうするか。以前のように
お金をバラまけないのなら、とりあえずは精神で統合をはかるしかありません。日の丸。君
が代。靖国神社。主権回復の日。あるいは国民栄誉賞もそうかもしれませんが、『俺たちは
日本人だ』という雰囲気を盛り上げ、つらい目にあっている人ほど持っている『連帯した
い』という感情を糾合し、文句を言わせないようにしようと。安倍政権を礼賛している右寄
りの人たちは、実は自分たちも切り捨てられる側にいることに気づいていないし、左の人た
ちは批判のポイントを間違っていて、その意味では両方ともうまくごまかされてしまってい
ます」

     ■     ■

 ――確かに、式典を批判する側の足場は「沖縄の心」に偏っていて、どうにも心もとない
感じです。

 「サンフランシスコ講和条約と同時に日米安保条約が結ばれたことによって、主権とアメ
リカ、どちらを立たすか難しい『二頭立て』の状態が現在も続いています。沖縄にとって
4・28が『屈辱の日』であるのはその通りで、それを祝うなんて沖縄に失礼だ、申し訳な
いというのはひとつの正しいロジックです。ただそれは逆にいうと、沖縄を犠牲にして本土
はいい思いをしたということを裏で認めることになる。真っ先に語られるべきは、4・28
は日米安保とセットだったということで、『沖縄が怒っている』ではない。沖縄に極端に出
ている問題を本土もまた抱えているのだという視点を強調せずに、沖縄に寄りかかって批判
していると、筋がズレてしまいます」

 ――式典には天皇も出席します。

 「『最低価格』での連帯感の維持を考えた時、最も有効なのは天皇を政治的に利用するこ
とです。天皇が来なければ、せっかくの式典の価値が減じます。国歌や国旗と違って、天皇
は生身ですから。お言葉を発したり歌を詠んだりすれば、別に懐は温まらなくても『日本人
でよかった』という連帯心が醸成される。日本に天皇がいなかったら、国民統合にかかるコ
ストは今とは比較にならないくらい高くついたでしょう」

 「今上天皇はまさにアメリカが占領時代に日本に植えつけた民主主義的な価値観を、ある
意味最も体現している人物でもある。もし自らの意見を表明することが許されるなら……。
一番よくわかっておられる。そう信じています」

 ――安く上げるために、利用価値があるものは何でも利用すると。まさに新自由主義的で
すね。

 「安倍政権が戦後の保守とは質を違えていることはまさに、4・28で歴史に線をひくと
いう発想に現れています。軍国主義から平和主義へ。天皇主権から国民主権へ。天皇のいる
民主主義国家をつくり、守っていくための仕掛けは、占領時代、日米の絶妙な政治的駆け引
きによって生まれ、だからこそ自民党の長期政権も可能になったのです。4・28以前の日
本は占領軍に手足を縛られ、何も思うようにできなかったかのごとく言うのは、歴史の歪曲
(わいきょく)であり、戦後保守の自己否定です」

 「さらに占領期のネガティブな面を強調し、4・28を一種の解放記念日のように位置づ
けることは、反米ナショナリズムに火をつけ、自主防衛、日米安保破棄論につながりかねま
せん。反米世論を抑え、アメリカを『番犬』にしながら日本を豊かにして国民に分け前を与
えるというのが戦後保守の王道なのに、下手をするとその構図を壊しかねません」

     ■     ■

 ――それでもあえて4・28を強調するのはなぜでしょうか。

 「改憲への地ならしにしたいという意図ははっきりしています。『憲法は占領時代に押し
付けられた。自分たちでつくり直さなければ真の自立とはいえない』という言説を振りま
き、そうだったのか、じゃあとりあえず96条を改正して憲法を変えやすくした方がいいか
もしれない、という世論を形成したいのでしょう」

 ――憲法を変えれば日本は良くなるなんて、ずいぶんナイーブというか精神主義的な議論
ですね。

 「日本の精神主義は、『持たざる国』であることからきています。地政学上、日本のライ
バルは中国、アメリカ、旧ソビエトですから、嫌でも資源に乏しい国であることを自覚せざ
るを得ません。その結果、人口が足りないから産めよ増やせよとか、資源を求めて植民地主
義に走るとか、現実を直視せずに常に背伸びをして頑張る、頑張っていればきっとそのうち
なんとかなるさ……という習性が身についています」

 「背伸びをさせるには精神主義しかありません。戦争中、レーダーを開発するお金がなく
ても、日本人は目がいいから大丈夫だとか、空襲も音で判断しろと学校でレコードを聞か
せ、『これはB29だ』と教えている。体が小さい日本人は大きくて小回りが利かないアメ
リカ人よりも戦闘機乗りとして有利だと、本に真面目に書いてありますから。『持たざる
国』だという現実を美化するためのロジックは無尽で、あとは精神力でカバーすればなんと
かなると。そうやってずっとやってきたのです」

     ■     ■

 ――為政者にしてみれば、安上がりな統治がしやすいと。

 「そういうことになりますね。安上がりに済ますにはうってつけの精神的風土があること
は疑いない。ただ、それでも戦前の日本は、『この戦争に勝てば大東亜共栄圏ができて日本
は繁栄する』と、将来のビジョンを示している。所得倍増計画だって、みんな電化製品に囲
まれていい暮らしができるよというビジョンを見せて、それなりに実現させることによって
国民を統合していました。ところが、今の安倍政権はビジョンを見せたり約束したりはして
くれません。『美しい国』なんて何の実態もないし、『アベノミクス』もお祭り囃子(ばや
し)に過ぎないでしょう。踊れや踊れ、でもその後は自助だよ知らないよと開き直るのは、
日本においては新しい統治のパターンです」

 「そもそも日本が国民国家であるということが、もはや当たり前ではなくなってきていま
す。フランスでは高額な税率を嫌い、有名人が実際に国籍を捨てている。高度資本主義国家
のたどる末路です。安倍政権は、日本も将来、そういう国にならざるを得ないというビジョ
ンは持っているのではないでしょうか。国民国家が崩壊の過程にあるからこその、主権の強
調。今回の『主権回復』をめぐる動きは、そういう歴史の皮肉として捉えられるべきです」
 (聞き手・高橋純子)

     *

 かたやまもりひで  63年生まれ。専門は政治思想史。音楽評論家としても活躍し、東京
芸術大学で非常勤講師を務める。著書に「未完のファシズム」など。
 

痴漢冤罪事件 記事の書き方 裁判官の世界

 投稿者:Quappa  投稿日:2013年 4月12日(金)02時45分3秒
   事件の真相を、裁判官の世界の一端を、そして記事の書き方を学べます。
 フリー・ジャーナリスト池添徳明さんの渾身の報告です。


 痴漢冤罪事件で有罪が確定し、懲戒免職された横浜市立高校の元教諭・
河野優司さんが横浜市に処分の取り消しを求めた訴訟の控訴審で、東京高裁
(市村陽典裁判長)は、原告側の痴漢冤罪の主張は認めなかったが、
「元教諭に対する生徒・保護者の信頼や教育実践などを考えると、処分は
重すぎ妥当性を欠き裁量権を逸脱している」として、懲戒免職処分を取り消す
判決を言い渡した。一審敗訴を覆す逆転勝訴判決となった。

 元教諭は一貫して「痴漢はやっていない」と無実を主張してきた。
 それは刑事裁判でも人事委員会審理の場でも、処分の取り消しを求めた
民事訴訟の場でも変わらない。元教諭が「冤罪事件だ」と訴えていることに
きちんと触れたのはNHKだけで、時事、読売、産経の記事はそのことに
全く触れていない。

 これは明らかに痴漢冤罪事件だ。免職処分取り消し判決を伝えるニュースで、
このことにきちんと触れないから、「痴漢教師に教わりたいか」「痴漢に重い
軽いがあるのか」「こんな卑劣な行為をする人は罪を償え」「免職は当然」と
いった的外れで一方的な反応が早速、ヤフーなどインターネットのサイトに
多数書き込まれている。

 元教諭の懲戒免職処分を取り消したきょうの東京高裁の判決後に、元教諭
や弁護団に取材した時事、産経、読売の記者たちは、いったい何を聞いて何を
感じて何を伝えようというのか。さらに冤罪事件の二次被害をつくるつもり
なのか。冤罪の主張をまともに報じたのがNHKだけとは情けないにもほどがある。

 ちなみに毎日は、記事本文で「無罪を主張したが」と8文字だけ触れていた
が、これでは読み飛ばされるだけで不十分だと思う。一貫して無実を主張し、
刑事事件で有罪が確定しても、民事で争ってきたからこそ、きょうの処分取り
消し判決があるのだから。そういう意味で的確に事実を伝えたのはNHKニュ
ースだけだった。

 きょうの東京高裁。痴漢冤罪を一貫して主張してきた元教諭に対する懲戒免職
処分取り消し判決。「あの市村陽典裁判長」が…。まさにまさかの逆転判決だった。
法廷では判決言い渡しの直後、満席の傍聴席から拍手がわき起こった。弁護団の
一人は感極まって涙を流していた。岡田尚弁護団長の顔は興奮で紅潮していた。
取材記者でありながら僕も閉廷後、河野さんとがっちり握手を交わした。

 河野さんの刑事事件控訴審で「あの高橋省吾裁判長」が一審判決を取り消して、
懲役刑から罰金刑に量刑変更した理由も「懲役刑では職を失う可能性が高く
あまりに酷すぎる」だった。「あの市村陽典裁判長」がまさかの逆転判決を言い
渡したのは、「刑事と民事で部は違えども同じ東京高裁の先輩の高橋裁判長
(当時)の判決を踏襲したからでは」との某氏の解説を聞く。日比谷公園を歩き
ながらなるほどと思わず納得。そこだけがずっと引っかかっていたのだが、
ようやく腑に落ちた。
 

イラク戦争10年 早稲田宣言

 投稿者:Quappa  投稿日:2013年 3月22日(金)03時52分40秒
   地震と原発に押され、すっかり影が薄くなってしまったイラクですが、検証企画がありました。
 ワールド・ピース・ナウなどが実行員会を立ち上げ、早稲田大学を会場にしました。

 <当日のプログラム
 <img alt="" src="http://worldpeacenow.seesaa.net/article/310197667.html" />

 最後に早稲田宣言を採択しました。

 イラクと日本および世界の平和を実現するための早稲田宣言


 いかなる国や地域の人々であれ、生命や尊厳、平等という譲ることのできない権利を保障されることは、
世界における自由、正義および平和の基礎です。2003年3月に米英両国を中心として開始され、日本が
支持・支援したイラク戦争は、世界人権宣言に謳われる精神とは正反対のものであることを、ここに確認します。
 イラク戦争では、少なくとも11万人もの命が奪われ、現在もなお、300万人近くもの人々が、国内外での
避難生活を余儀なくされるような状態を招きました。それが「自由と民主主義」を標梼する先進諸国によっ
て引き起こされたことは断じて許されないことであり、この戦争を止められなかった市民社会にとっても痛恨
の極みです。ファルージャなどイラク各都市での無差別虐殺や、アブグレイブ刑務所などでの組織的な拷問
や虐待、クラスター爆弾や劣化ウラン弾など非人道的兵器の多用など、米軍ほか多国籍軍がイラクで行って
きたことは国際人道法に著しく反することは明白であり、また「人道に対する罪」にあたる可能性があります。
 自国のイラク戦争への関与について検証を行ったオランダで、独立検証委員会が結論づけたように、イラク
戦争は国連憲章に定められた武力行使の法的根拠を持たない、国際法上も違法なものでした。そうした戦争
を日本が支援・支持したことは、日本国憲法前文の「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠
に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占める」という精神に反し、また名古屋高裁が
憲法判断を示したように、航空自衛隊による米軍の人員・物資の輸送支援は、集団的自衛権の行使、参戦
行為であり、憲法違反です。
 これらの事実が持つ重大さは、決して風化させてはならず、日本のイラク戦争への関わりの検証は歴史的、
国民的な課題です。したがって、私たちは、以下の行動を提起します。

○政府は、第166回国会閣法第89号附帯決議に従い、イラク戦争への日本の関わりについての検証を行うこと。
 市民側も政府任せでなく、検証を行うこと。
○政府は「石油の確保のため」「周辺国の脅威に対抗するため」という理由で、イラク戦争を支持するなど、
 自らの利益のために他者の犠牲を顧みない姿勢を改め、平和共存の道を模索すること。
○市民は、戦争を始めた当事者たちの責任を問い、国際刑事裁判所での訴追や「普遍的管轄権」の行使を含む
 追及を、国際社会に求めていくこと。
○市民は、今後もイラクの状況について関心を持ち続け、情報収集や共有に務めること。
○政府、市民それぞれは、困窮するイラク難民・避難民や、劣化ウランが原因と思われる健康障害を抱える人々
 など、戦争被害者に対し、今後も、あらゆる支援を行なっていくこと。
○政府、市民、それぞれは、平和憲法の精神に基づき、戦争に参加、支援する動きに断固反対し、あらゆる国際
 紛争について平和的な解決を目指すこと。
○本宣言を、市民側は広め、協力の輪を広げていくこと。政府は政策に反映すること。

                  2013年3月20日 「イラクテン」参加者一同
 

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