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御返事遅くなりましてすみません。
ということで、早速御返事させて頂きます。
私は、銀光さんと同じくロックには現状においてグレーテルを救える力は無いと思います。
しかし、ベニーはその事をロックに自覚させるだけに留まらず、その自覚のうちにひっそりと生き延びていくことだけを勧めていて、そしてロックもそれに頷かずにはいられなかったのだと思います。
事実、ロックは過酷なロアナプラの世界に適合するためには、様々な勢力との兼ね合いを意識して生きない訳にはいかないでしょう。
だから、グレーテルは救えない、いやむしろこれからロックがあの世界の中で無事に生きていこうとするのなら、グレーテルのことは救うべきでは無いのかもしれません。
そのゆえにベニーの自己の体験に基づく遠回しな説得は、確かにロックに実感として受け取られています。
奇麗事では到底生きていけない世界、それがロアナプラ。まさにその通りです。
けれど、私はあのお話をロックのお話としても読んでいました。
ロックにとって、本当に一番重要な事はなんだったのか。
ロックにとって、現状一番受け入れやすいのは、ベニーの言ったような処世術的な事柄だと思います。
悪い言い方をすれば、ロックはグレーテルを「救えない理由」を求めて、そしてそのベニーの説得を受けることによって、自分がただ生きることを肯定、あるいは正当化したかったのだと思います。
私は銀光さんのダッチの描写にあっと感じました。
ダッチはロアナプラの過酷な現実の中に居て、それ確かに自覚していながらも、けれどその中から少しでも自分の目指す事を可能にしようとして、そうして生きている、ということを。
私は、少なくともあのベニーの言葉と、そしてその言葉にただ従い、そして無力な表情をみせたロックには、そのダッチの気概を感じることはありませんでした。
つまり、私はロックがグレーテルを救えない理由を述べるたびに、ロックがグレーテルから逃げているのを感じてしまうのです。
実際グレーテルを救えるかどうかは関係無く、ただグレーテルを救うとたとえグレーテルが死んだあとにも思えるかどうか。
実際的にグレーテルを救えない、だから仕方無いのだと自己完結した段階で、そのロックのなかのなにか「綺麗」なものは死に絶えるのだと思いました。
もしロックがベニーの言うとおりに現実の過酷さを自覚できたのなら、私はその境地からその地を踏み締め立って見上げた空こそ、なによりも美しく、またあの地獄のような街に暮らす人々にとって、一番重要なことなのだと思います。
実際問題と自分の中の意志は別物であり、ゆえにその自己の意志は現実の過酷さに従属してはならない、という強い意志がロックにある事が、話は飛びますがレヴィが最も嫌悪し、そして最も惹かれている所なのでは無いかとも思っています。
そして。
グレーテルもまた、ロックの上辺の優しさの中に見えたその本当の力強い意志に怯え、無闇にそれに抵抗しようとし、それでも最後には必死になってそれに抱きつくことができたのです。
まるで、大人に叱られしゅんとなった子供が、それでもその大人に愛されたいと願うが如く。
如く、というか、まさにヘンゼルとグレーテルというのはそういう「子供」の姿そのものを描いた話としても私は受け取っているのですけれどね。
そして無論、そういう「子供」を抱き締めなければいけないという「大人」の姿も。
これで一応レス的には全範囲カバーしたことになるのでしょうか?(笑)
取りあえず、銀光さんの言葉にちなんで、俺は冷血漢なんかじゃないでも仕方が無いじゃないか、というロックより、ただなにも言わずに視聴者にその熱血漢ぶりを静かに魅せてくれたダッチの方が私は好きです、という告白を付けて締めとさせて頂きます。(笑)
http://members.jcom.home.ne.jp/mazyutsushi/index.htm
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