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  1. 海外だと断然安い3Dプリンタ(0)
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Re: 出土地不明銅鐸

 投稿者:ペギラ  投稿日:2018年 6月19日(火)02時11分46秒
返信・引用
  > No.292[元記事へ]

ペギラさんへのお返事です。


> 辰馬412
>
> 外縁付鈕1式   横型流水文 辰馬考古資料館  42cm
>
> B面上部 切り取られているやつです。
>

> これも、佐原先生の魔力というか神通力によって、
> 色々な資料に、伝井伊谷出土となっていった。
>
> この井伊谷出土がかなり怪しいようです。
>


1995  銅鐸の美  国立歴史民俗博物館 p115
1996  祭りのカネ銅鐸  佐原真 講談社 p30 41

すでにこのあたりでは、佐原さんの見解は、
出土地不明鐸となっているのですが、

・島根県古代文化センター 「青銅器埋納地調査報告書Ⅰ」2002
・難波洋三氏       「難波分類に基づく銅鐸出土地名表」2007

ここで、振り出しに戻るになってしまっている。


http://doutaku.saloon.jp/kodainonazo/index.html

 
 

Re: 出土地不明銅鐸

 投稿者:ペギラ  投稿日:2018年 6月19日(火)00時55分54秒
返信・引用 編集済
  > No.291[元記事へ]

もう一つの主人公は、

辰馬412

外縁付鈕1式   横型流水文 辰馬考古資料館  42cm

B面上部 切り取られているやつです。


この銅鐸は、
当初、伝静岡・遠江 引佐・井伊谷出土とされていました。

これも、佐原先生の魔力というか神通力によって、
色々な資料に、伝井伊谷出土となっていった。

この井伊谷出土がかなり怪しいようです。

その理由も、なんとなく解ってきた。
静岡県の出土銅鐸は、突線鈕ばかりです。
この辰馬412を遠江出土にすることは、無理があるのかもしれない。
三河ですら、外縁付鈕が見つかっていないのに、
という感覚に普通はならないだろうか?

三河の扁平鈕も2つ、いづれも、伝出土のもの。

こののちは、出土地不明鐸の仲間入りしそうな銅鐸くんです。

http://doutaku.saloon.jp/kodainonazo/index.html

 

出土地不明銅鐸

 投稿者:ペギラ  投稿日:2018年 6月17日(日)23時57分15秒
返信・引用
  昨今、このあたりをフラフラとしておりますが、
ここは、謎が謎呼ぶスリル満点のところですね。

一つ、発見。

島根県古代文化センター 「青銅器埋納地調査報告書Ⅰ」2002

不明50 外縁付鈕1式 2区流水文 梅原(1972) 山川七左衛門コレクション

この銅鐸は、実は、
「伝滋賀県出土銅鐸」 というやつです。

「青銅器埋納地調査報告書Ⅰ」2002 では、
滋賀7 近江 外縁付鈕 2区流水文 32 辰馬考古資料館

このダブり現象の始まりは、やはり
「考古学ジャーナル210 1982」
佐原・春成 銅鐸出土地名表 のようです。

この地名表の罪作りな!




http://doutaku.saloon.jp/kodainonazo/index.html

 

Re: 小松原銅鐸

 投稿者:ペギラ  投稿日:2018年 6月 9日(土)22時29分18秒
返信・引用 編集済
  > No.289[元記事へ]

> > 難波作成 同笵銅鐸の一覧 2003.3.21 更新
> >
> >
> > 26 ○→和歌山・朝日…出土地不明・大阪市美蔵
> >

> おおお、これは、大阪市立美術館では、なかろうか!
>
>

もしかして、もしかしたら、この出土地不明銅鐸の正体を見つけたかもねぎ。

やはり大阪市立美術館でしょう。

そして、この先がちょっとやっかい。

島根県古代文化センター 「青銅器埋納地調査報告書Ⅰ」2002
          銅鐸出土地名表 p125
不明68と69が、今回の主役です。

不明68は、外縁付鈕2式4区袈裟襷文 高さ 22.3  岸和田白井家旧蔵
不明69は、扁平鈕2式 4区袈裟襷文 高さ 22.1

どちらも、大阪市立美術館に所蔵されていると。


不明68は、文献欄に 大阪府の銅鐸図録 泉北考古資料館 1986 とある
見てみますと
図版第四・五 袈裟襷文銅鐸 として 画像が載っています。
高さ 22.3
文様・型式の記載なし

不明69は、文献欄に、銅鐸の世界展 神戸市立博物館 1993 とある
こちらも見ますと
P25  36 出土地不明銅鐸  扁平鈕2式4区袈裟襷文として画像
高さ 22.1

そしてもう一つ。

画像処理システムを導入した銅鐸のデータベースの構築 井上洋一 1998
No583 出土地不詳銅鐸
扁平鈕2式4区袈裟襷文 大阪市立美術館 岸和田市白井家旧蔵
高さ 22.1    画像出典 銅鐸の世界展


そうです、混乱しています。(;一_一)

この3つの画像は、なんと、なんと、同一銅鐸です。(笑

さらに、よくよく見てみると この画像の銅鐸は、確かに、小松原銅鐸に似ている。

そうか!多くの資料が、外縁付鈕1式横帯文としているのに、
どうして難波先生が、外縁付鈕2式4区袈裟襷文としているのか、
その意味が解ってきた。

ついでに、ですが、
井上先生の銅鐸データベース No583ですが、
画像出典を「銅鐸の世界展」としていますが、
画像は、「大阪府の銅鐸図録」のものです。

大きな疑問が一つ解けたような気がします。

あとは、「朝日」だ!!!

http://doutaku.saloon.jp/kodainonazo/index.html

 

Re: 小松原銅鐸

 投稿者:ペギラ  投稿日:2018年 6月 9日(土)20時46分29秒
返信・引用
  > No.288[元記事へ]

> 難波作成 同笵銅鐸の一覧 2003.3.21 更新
>
>
> 26 ○→和歌山・朝日…出土地不明・大阪市美蔵
>

>
> さらに、大阪市美蔵!!
>
> なんだ?これは??
> 掴みかけた答えが、泡と消えていく(笑
>
>


閃いた!!!
おおお、これは、大阪市立美術館では、なかろうか!

http://doutaku.saloon.jp/kodainonazo/index.html

 

Re: 小松原銅鐸

 投稿者:ペギラ  投稿日:2018年 6月 9日(土)18時48分45秒
返信・引用
  > No.282[元記事へ]

ついに一つ手掛かりを見つけた。

加茂岩倉遺跡出土品を中心とした同笵銅鐸の研究 難波洋三 2001

そのなかの
難波作成 同笵銅鐸の一覧 2003.3.21 更新


26 ○→和歌山・朝日…出土地不明・大阪市美蔵


ここでも、「朝日」だ!

あえて小松原を使わないということなのだろうか?


さらに、大阪市美蔵!!

なんだ?これは??
掴みかけた答えが、泡と消えていく(笑

http://doutaku.saloon.jp/kodainonazo/index.html

 

三河出土銅鐸

 投稿者:ペギラ  投稿日:2018年 6月 8日(金)21時37分42秒
返信・引用
  今回、摩訶不思議。

「難波分類に基づく銅鐸出土地名表」p39

三河出土

XVI(16) 豊田市弥生町1丁目(下長山)1972 突線鈕1式 東海派D類 上善寺

この銅鐸、いろいろと検索してみても全く見当たらない。

よくよく見てみると、まず 豊田市が違う!豊川市です。

上善寺の住所は豊川市弥生町1丁目12
下長山というのも、そのあたりです。

しかし、豊川市でも上善寺でも、銅鐸がヒットしない!!

他の資料を色々見ましたが、ありません。

そもそも1972年というのは、銅鐸の世界では、新しいほうだけど、
これだけ探して、見つからないのは、初めてです。





http://doutaku.saloon.jp/kodainonazo/index.html

 

Re: 源田銅鐸

 投稿者:ペギラ  投稿日:2018年 6月 8日(金)16時34分53秒
返信・引用
  > No.285[元記事へ]

今どき、すごいです。

こんなサイトもございます。


http://awakouko.info/modules/webphoto/index.php/photo/65/


徳島県立埋蔵文化財総合センター 「レキシル とくしま」オフィシャルサイト


お金を使ってますね~。
日本全国 広まるといいな!!

http://doutaku.saloon.jp/kodainonazo/index.html

 

Re: 源田銅鐸

 投稿者:ペギラ  投稿日:2018年 6月 8日(金)15時15分34秒
返信・引用
  > No.284[元記事へ]

どんたくさんへのお返事です。

ペギラです。

> 確かに源田銅鐸出土地点は、現在の地番で言えば、徳島市国府町西矢野でありましょうが、この銅鐸が出土した時点では、この地点はまだ徳島市に編入されておらず、地名は矢野源田だったのではないでしょうか?
>
> 源田銅鐸の出土地点は、矢野銅鐸出土地点の南約1kmの鮎食川の川岸に近い地点のようです。
>

梅原末治『銅鐸の研究』資料篇 木耳社 昭和60年 p389
ここには、
梅原先生の注の部分に

◎昭和23年の書簡、名西郡入田村源太カクレ谷の源田溜池の南

とあります。

wikipedia 入田村
1955年1月1日 - 入田は名東郡新居町とともに徳島市に、矢野は名東郡国府町に編入。国府町矢野がすでにあったため、入田村矢野は国府町西矢野として編入された。

どんたくさんの提示されたように、矢野源田という地名だけならば、
入田村矢野源田という表示でしょうが、
国府町矢野に源田は存在しません。

入田村矢野源田という地名は国府町西矢野源田となっているようなのです。

ですから、矢野源田を表記するならば、
「入田村矢野源田」としないと。

=「国府町矢野源田」ではありません。

ということが、言いたかったのです。



http://doutaku.saloon.jp/kodainonazo/index.html

 

Re 源田銅鐸

 投稿者:どんたく  投稿日:2018年 6月 6日(水)13時33分25秒
返信・引用
  ペギラさん、

確かに源田銅鐸出土地点は、現在の地番で言えば、徳島市国府町西矢野でありましょうが、この銅鐸が出土した時点では、この地点はまだ徳島市に編入されておらず、地名は矢野源田だったのではないでしょうか?

源田銅鐸の出土地点は、矢野銅鐸出土地点の南約1kmの鮎食川の川岸に近い地点のようです。

「国府町西矢野」の Wikipedia に、次のようにあります。
*******************************************************************************
もともとは名西郡入田村矢野であり、1955年(昭和30年)に分立の上、当時の名東郡国府町に編入され国府町西矢野となった(入田村入田は同時に徳島市に編入され、現在の入田町)。1967年(昭和42年)に国府町が徳島市に編入し、現在の町名となった。
********************************************************************************

矢野銅鐸出土地点の近くに徳島市立考古資料館があります。
徳島市国府町西矢野奥谷10-1
電話:088-637-2526

ここに問い合わせてみられてはいかがでしょうか?
 

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