|
「尖閣の真実」を語る明治元年のドイツ製地図
―石井望准教授らが明らかに
■日本の境界線が尖閣諸島の西側に
明治二十八年(一八九五年)、日本は「無主の地」(どこの国にも属さない土地)だった尖閣諸島を領土に編入したが、これに対して中国は、同諸島を明、清時代以来の自国領だと主張、「日本は島を盗んだ」と宣伝している。
当時の中国の古文書の諸記述を基に、尖閣諸島の東側に中国と琉球との境界があったと強調しているわけだが、これに対し、やはり当時のあの国のさまざまな古文書を調べ、中国の東支那海における境界は大陸沿岸部であり、尖閣諸島にまでは及んでいないことを証明し、中国政府の顔を曇らせて来た長崎純心大の石井望准教授(漢文学)は、このほどさらに新たな「証拠」を示している。
同諸島の西側に日本の境界線を点線で描く明治元年(一八六八年)のドイツ製の地図(東京大学蔵)である「ハンド・アトラス」(シュティーラー氏世界小地図帳)の中の「中国・朝鮮・日本図」がそれだ。同地図帳にあるポリネシア図などでも、その点線は見えるという。
http://blog-imgs-47.fc2.com/m/a/m/mamoretaiwan/20131005123936bec.jpg
|
|